三角市場の歴史
三角市場の生い立ちを紹介します。 |
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簡単に三角市場の歴史と言っても、 何十年も続く市場について語れる人は数少ないはず。 流れる歳月の中で、多数の人々、店が入れ替わり、 語り継がれる歴史は曖昧だ。 そんな三角市場について、論文を書いた友人がいます。 |
戦 前→ | 国鉄の宿舎や木賃宿、ゴミ捨て場などがあり、 ほとんどが空き地だった ※1 |
戦時中→ | 強制疎開で全て取り壊し |
昭和21年〜24年→ | 戦後の「ヤミ市」 |
昭和25年〜29年→ | 手宮からの行商「ガンガン部隊」 ※2 による、 魚卸の場 |
昭和30年〜39年→ | 小樽の地場産業(漁業、農業、水産加工業、 魚卸問屋から、一般市民の小売店へ、魚屋だけでなく、 昭和32年→屋根が完成 昭和37年→7月「小樽駅前市場協同組合」設立 |
昭和40年〜49年→ | 最盛期 昭和42年→新三角市場増設 |
昭和50年〜59年→ | 全体の状況はあまり変わらないが、 次第に食生活の変化がみられる。 |
昭和60年〜63年→ | 観光客の増加(運河埋め立て完了) |
平成元年〜7年→ | 一般市民の客離れが進む。 |
平成8年〜12年→ | 三角市場の約半数のテンポが移転、廃業という 形で姿を消す。 観光客が年間600万人を超える。 |
平成13年〜17年→ | さらに店舗が移転、廃業と、現在16店舗 海産物屋→10店舗 |
※1について→ | 昭和37年創業。 この土地が三角形だった為、三角市場の愛称で呼ばれるようになった。 正式な名称は、「小樽駅前市場」 |
※2について→ | 叩けばガンガンと音がする、ブリキ缶に、魚や野菜を詰めこんで、 背負って行商する人達の集団。 |
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